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尺度

 

こないだ太山寺の帰り、空を下から思い切り見上げたら「こんなに空はきれいなのになぁ。」とやるせない気持ちになったんです。で、同時にやっぱりこんなきれいで大きな空の下で暮らせることはちょっと自慢に思ってもいいんじゃないかと思ったんです。

なんでそう思ったのか、ちょっと前までならやるせない気持ちのままで終わっていたと思います。でもここのところ、ひょんなところで話しかけられ会話をすることが続いて。会話といってもなんてことはなく冗談なのか、ダジャレなのか、本当なのかそんなのどうでも良いくらいの内容。ただの社交辞令かもしれない。だけど、それが何かのきっかけになったり、はじまったりすることもあるんじゃないかと、妙にじんわりきたんです。

だって例えば、それが旅先なら何気ない言葉を交わすことだって思い出になるし、いつかまたそこを訪れようと思うかもしれない。私はそれでこの地域での暮らしを実感したし、実際にそれをきっかけに地獄極楽絵図を見に行った。

お互いどこの誰かもわからないし、そんなの気にもしないからこそ出来る、損も徳もない他愛のない話。挨拶よりいくつかの言葉を交わすくらいの。でも今昔こういう日常の点みたいなことが結構肝なんじゃないかと気になっています。

それで、そんなことを考えたその空をネコツーリズムの動画に記録しておきました。